生まれは大阪府大阪市です。高校を出て西宮市役所に就職し、結婚を機に西宮市民になりました。
市役所に就職したての頃は、大阪から阪急神戸線で通勤していました。武庫川の鉄橋を渡る時に、優雅な雰囲気で川が流れていて、六甲山が見えて…当時は田んぼばっかりだったので国道171号線を走る車までよく見えて。「ええ景色やなあ」と、毎日見るのが楽しみでした。
それから、先輩にあちこちの現場に連れていってもらう中で初めて夙川の松並木沿いを通った時に「こんなにすばらしい景観が…」とその美しさにびっくりしました。とにかく西宮には、来た当初からぞっこん惚れました。
役所勤め時代は、区画整理を担当する部署から建設課、再開発や下水やらと、土木技術系の部署を転々と回っておりました。そういうことをしながら、西宮の街づくりにはずいぶん早くから関心を持っておったですね。
42年間市役所一筋で働いて、定年後に都市整備公社にいた頃、「さくらFMがちょっとややこしいねんけど、行ってくれへんか」とお声がかかりまして。当時のさくらFMはひどい債務超過で社長はしょっちゅう変わる大変な状況でしたが、「いささかでもお役に立つんやったら」ということでお受けしました。
それでも実際は、僕の給料もろくに出ないガタガタの状態でしたので、都市整備公社で午前中働いた後、自転車でバーッとさくらFMに来て、毎日すごい勢いで飛び回っていました。嫁さんに「あんた、後ろから見たら、ズボンのお尻が擦り切れて穴あきそうやで」って言われるぐらい(笑)。
着任した初めの年に200~300万円の赤字が出ると言われていたところを必死に頑張って、結果的に70万円の黒字にしました。たった3ヶ月でです。この間、どれだけ働いたことか…! 次の年からもその勢いでガーッと走り続けて、「永遠になくならない」と言われていた6,300万円の累積損失を、8年でようやく解消できました。
ちょっと格好つけて言えば、これはさくらFMを守るために必死に頑張ったから何とかなったという話でね(笑)。「やっている限りは一生懸命せなあかん」、物心ついた頃から人生ずーっとそうやってきましたから。失敗もありますけど、一生懸命の、ええ人生を生きている方だと思います。
1992年に自治体単位でコミュニティFM局を作ってもいいという制度ができ、1995年の阪神淡路大震災を機に全国で開局が相次ぎました。さくらFMの開局は1998年。この3月で丸24年になります。
震災の時は避難所への情報伝達がとにかく大変やったんです。今みたいに携帯電話も普及していなかったので、壁新聞を書いたり、市が刷ったニュースを配って回ったり等…。コミュニティFMができたことで、住民の皆さんに情報を伝えるのが格段に改善されたと思います。
全国のコミュニティFMは、どこも超とか極がつくぐらいの零細企業です。コロナの状況でイベントが全部中止になっている今は本当に大変。どこもしんどくって、実際に大阪の似たようなFM局は免許返上して閉めてしまったところもある。2020年度からは西宮市の助成金も1割カットされて、大きな転換点を迎えています。この踏ん張りどころをどう越えていくかですね。
ただ僕がよく言っているのは、西宮市の助成金を人口あたりで割ったら、せいぜい80円とか90円です。いざという時の安心安全のことを考えたら、生命保険みたいなもので、それをケチったらあきませんで、と。
僕は市役所時代に集中豪雨などの災害現場もたくさん見てきていますから、いざという時ラジオの情報が必要だとはっきり言えます。
例えば南海トラフ地震が起こったら。われわれが販売している「緊急告知ラジオ」なら、電源を切っていても自動的に起動して大きな音が鳴って、照明がピカピカ光る。西宮市防災スピーカーと同じ放送が流れるし、さくらFMに切り替えることもできる。そうして津波からの避難情報をきっちり伝えることができるんです。
さくらFMで約10年頑張ってきましたが、そろそろ次へ引き継ぐ道筋もできたので、その先は何をしようか?と考えているところです。
人と仲良くなるぐらいしか取り柄のない人間ですけど、たったいっぺんしかない生を授かったんやから、とにかく楽しく豊かに一生懸命生きたい。西宮との縁は55年近くにもなりますが、これから先も、ちょっとでもお役に立てることがあればいいなと思っています。
西宮市池田町9-7 フレンテ西館3階
TEL (代表):0798-37-5512 FAX (代表):0798-37-5515
https://store.shopping.yahoo.co.jp/sakura-fm/