長田から西宮へ越してきたのは1995年の震災がきっかけでした。ここ瓦照苑が完成して引っ越したのは1999年のことです。このあたりは子どもの頃から親戚がたくさんいて、よく遊び回っていた場所だったんです。引っ越し先は他にもあちこち探してはいたのですが、結局よく知っているこの場所に、それこそご縁があって来られたんだなと思っています。
震災後に新たに建てられた家が少しずつ増えて、西宮の町並みも変わっていきました。震災でいろいろなことを経験された方々が、そうやって1軒ずつ安住の地に収まっていかれたことは、町としてよかったんだろうと思います。
そんな中、私自身はこうして西宮へ移ってきて、能をやっています。
能は、とても宗教色の強い伝統文化です。人によっていろいろ意見はあると思いますが、宗教というものは決して悪いものではないと私は思っています。人間とはどういうものか、命とはどういうものか、その中でどうやって生きていくのがいいのか——そういうことを扱っているのが能ですから。
能とはそうした文化であり、文化というのは人の幸せに関係する職業なので、自分だけが幸せでいいということはあり得ません。ですから「地元である西宮を幸せにしたい」と考えています。
その思いから、近所の小中学校や宮水学園(西宮市生涯学習大学)へ行って上演や講演をさせてもらったり、こども教室を始めたりしています。教室へお稽古にいらっしゃる方にも「ああ、来てよかったな。幸せな時間だな」と思っていただきたいと思っています。
自分が演じる役について調べたり演じたりする時、「このことに対して、あなたはどう思いますか」と尋ねられているような気がします。それをずっと積み重ねていった上での思いというものが、私にはあります。
学生さんや生徒さんにはよく「内と外」の両面が大事だという話をします。
技術面でいうと、能ではピタッと止まるために外側の筋力も必要ですし、声を出すために深く息をして力を入れることで内側の筋力も鍛えられる。スポーツでもそれと同じで、外側の筋肉を鍛えることも大事だし、内側の筋肉を鍛えることも大事、つまり「内と外」の両面が大切だということです。
そしてもうひとつ、心と経済。これも内と外の両面だと思います。
心の時代と言われますが、やっぱり経済力がないと生きていくのはしんどい。頑張って経済力をつけることは必要です。そして心。能にはいろいろな話があるので、「これはいやだな」「これがいいな」と考えてもらって、心の成長につなげてもらいたい。心と経済、この両面が大事だと思うんです。
そんな話が西宮の子どもたちの記憶の片隅に少しでも残って、将来ふっと思い返してくれたらいいなと思っています。
瓦照苑の能舞台にある「明鏡止水」*と書いてあるついたては、長田の家にあった門扉と柱で作ってもらいました。門扉は震災の時に折れてしまったんですが、「捨てないでほしい、一緒に連れて行ってほしい」と言われている気がしましてね。
「明鏡止水」は、荘子の言葉です。心が明るい鏡や止まっている水のようにすっときれいに映るから、人が寄ってくる。自分も含めて、ここにいらっしゃる方にはそういう気分になってほしいと思って、この言葉を選びました。
伝統というものは、何もせずに古くからずっと続いているものではなくて、どの時代も少しでも油断したらつぶれてなくなってしまうもの。それぞれの時代の人たちが頑張って工夫して、本当に好きだという人たちがいて、ようやくここまで続いてきたもの。
そしてふっと後ろを振り返ると、「ああ、こんなに続いていたのか」。それが伝統だと思うんです。
だから子どもたちだけでなく、大人の方々にもぜひ能を見ていただきたい。好きだという方にはぜひ実際にやってみていただきたい。そうして、能を通じてみんなが「よかったね、幸せだね」と思える時間を作ってもらえれば一番ありがたいです。
それこそ世阿弥の言葉に「寿福増長の基(もとい)、遐齢(かれい)・延年の法なるべし」とありますが、要は幸せになって長生きしましょうよ、ということ。これは能だけではなく、文楽であろうと歌舞伎であろうと映画であろうと、芸術文化と言われるものはすべて同じなのだと考えています。
*明鏡止水(めいきょうしすい):邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。(出典:goo辞書)
〒662-0063 西宮市相生町10-11
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