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今竹 翠(いまたけ みどり)株式会社今竹 代表取締役社長・デザイナー

今竹翠先生

『アートをやるなら、六甲山と海が見えるところで』

 

西宮のアート分野と昔からご縁があって、西宮芸術文化協会のチャーターメンバー(創立委員)をはじめ、西宮市展の審査員、そして「フラワーフェスティバルin西宮」にも最初から関わっています。それに付随して、西宮美術協会、さらには出身校の神戸女学院など、西宮界隈でいろいろと忙しくさせてもらっています。

10月10日からは大谷記念美術館で父・今竹七郎*の没後20年展が始まります。父は1972年の美術館オープンの時にマークをデザインするなど、いろいろと関わっていました。今回の展覧会も「美術やデザインはむずかしいものではないよ、楽しくて力が湧くものなんだよ」という内容と聞いていますので、私も楽しみにしています。

何十年も前の話ですが、大谷記念美術館が改装オープンした1991年頃、西宮芸術文化協会が庭園でファッションショーをしたこともあるんですよ。母は日本デザイナークラブをやっていましたから、そこのデザイナーさんとモデルさんを呼んできて、西宮芸術文化協会のテノールの先生に歌っていただいて。

 

今竹翠先生コロナの影響で、毎年10月に開催している「野外アートフェスティバル」も中止になりましたが、代わりに何かできることはないかと協議した結果、現在進行している計画があるんです。

日本画、洋画、彫刻などいろんな分野の先生が作品を出展する代わりに、1.3m×1mのフラッグに作品を描いて、ACTA西宮2階円形デッキに吊り下げて見てもらおうというものです。言うは易しで、布に描くので、雨に濡れても消えないようにとか、いろいろと考えなければなりません。大変といえば大変なんですが、「西宮のアーティストは楽しく、がんばっているよ」ということを見せたいですね。

この野外アートフェスティバルは30年ぐらい続いています。1990年に苦楽園の夙川沿いにステージを作って、日本舞踊やお能、フラメンコなどいろんな部門の方が出演したのが第一回。市制65周年記念でした。それから5年後に地震が起きてイベントは中止になりましたが、それでもみんな自主的に、夙川沿いの樹木にフラッグを吊るしたんです。苦楽園から香櫨園まで、それこそ何百枚も…200枚や300枚どころじゃない、かなりの枚数でした。

今竹翠先生「フラワーフェスティバル」というイベントもあって、こちらは市民のみなさんが会期に合わせて花をきれいに咲かせてくれます。このイベントも長いですね。あとは公募展の「西宮市展」。市民のみなさんの作品を私たちが審査して、市民ギャラリーに展示します。市民とアーティストが一緒に何かをするというのはこの2つだと思います。両方にかかわっているので、もうよろよろです。仕事する暇なしです(笑)。

 

西宮市はアートイベントをやることに積極的ですね。日本中の高名なアーティストたちが昔から言っている言葉に、「アートをやるなら、六甲山と海が見えるところでないとダメだ」というものがあります。昔から阪神間は、温暖な気候と交通の利便性、古い文化があって、住みやすく、文化度が高いと言われています。

コロナ以降は出勤を自粛して、リモートでやりとりをしています。利便性という意味では悪くないと思いますが、人間が生き物として持っている温かさや心といったものを、若い人が知らずに過ごしてしまうのではないかという怖さは感じます。年寄りは、人の温かさや心を知って育ってきています。でも、若い人はそんなことはさておいて、目的だけを達成して済ませてしまう。それでは具合が悪いな、と思います。

これからいい方向に改善していくと思いますが、そのためには「心」をわかっている人がきちんと教えていかないといけない。これから世の中を動かしていく人たちには、心を伝えるような活動をしっかりやってくださいと言いたいですね。

 

*今竹 七郎(1905-2000):近代日本デザインのパイオニアと称されるグラフィックデザイナー。輪ゴム「オーバンド」のパッケージ、メンソレータムのナースなどのデザインで知られる。戦中から亡くなるまで西宮市に居住し、関西の芸術文化、とりわけデザイン分野に大きな功績を残した。

※野外アートフェスティバルの歴史 参考 http://nishi-arts.jp/history.html