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梶屋 実(かじや まこと)学習塾 英数研セミナー代表

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『父が受けた恩を、多くの塾生に返していきたい』

大好きな西宮の鳴尾北小、学文中、鳴尾高の出身です。1985年に開塾して、今年で35周年になります。ここ最近、元塾生の子どもも来てくれていて、クラスの4分の1が「2世塾生」です。医師や弁護士になった塾生もいます。

 

開塾35周年の記念イベントを予定していましたが、コロナ禍で中止しました。休塾を余儀なくされた時、学習塾の秀英館さんやRed Gate英会話教室さんがオンライン授業の導入を助けてくれました。これは「甲子園けやき散歩道」という商店街組合で培ってきた助け合いの精神です。パソコンの得意な塾生たちも手伝ってくれて、本当に感謝しかありません。

私はオーストラリア留学後、大きな塾で英語講師をしていました。大手の授業料の高さに驚いて、自分だったらもっと安くもっと楽しく、もっと伸びるやり方で教えられると思ったのが、塾を開いたきっかけの一つです。ちょうど結婚したての頃で周囲は独立に大反対でしたが「いつまでも人に使われとったらあかん、自分でやってみろ!」と後押ししてくれたのが、父でした。

そもそも塾を開くことになったのも、その父の話が原点です。父は幼い頃に両親を亡くし、親戚の小さな工場で働いていました。「勉強はしなくていい、溶接や板金の腕を上げろ!」と言われていたそうです。父は私に「不思議なことに、人間はな、勉強するなと言われると、したくなるものだ」と述懐していました。

父は工場勤めから抜け出すために大学合格をめざしました。教科書を読めば全ての科目が理解できましたが、英語だけがどうしても分からなかったそうです。うわさで良い英語塾があることを聞きつけ、わずかな給料の中からなんとか月謝を工面して塾へ通い始めました。

工場の仕事が終わった後、夕食も食べられず、電車賃も節約して2駅を駆け足で通ったそうです。やせ細って、手は油で真っ黒だが、目だけはギラギラと光っている生徒が来ているーーそれが英語塾での父の第一印象でした。やがて父の境遇を察した塾の先生は、おにぎりを握ってきてくれたり、こっそり電車賃を渡してくれました。そして、熱心に指導してくれたそうです。この話をする時、父はいつも涙ぐんでいました。

今の私とほぼ同年齢で他界した父は、外資系企業のアジア・太平洋地域統括CEOまで出世しました。父の成功の原点は英語ができるようになったこと、つまり「英語塾の先生のおにぎりと電車賃、そして熱心な指導だった」と話してくれました。私は、塾生におにぎりを握ったり、電車賃をあげることはできませんが、熱心な指導をすることだけはできる。70年前に父が英語塾の先生から受けた恩を、より多くの塾生に返していくことが私の使命だと思っています。

講師は私を含めて2人、少数精鋭です。テスト前の週末は朝9時から夜11時まで授業をすることもあります。「35年間、ほとんど無休に近い状態で大変でしょう?」と言われますが、結局、やっぱり英語が好きなんです。英語を教えることや、塾生のやる気を出すために何かすることが好きなんですね。塾生が良い成績を取ったり、合格することがうれしい。本音を言うと、塾生が希望する会社や企業に就職してくれることが、一番うれしいです。楽しく人生を歩むためには、経済力が必須条件ですから。

35周年で考えたことは、これからの35年をどうするかです。35年後は98歳になります。「いつ、引退するんですか?」と時々聞かれますが、人生100年時代、「死んでから引退するわ!」と答えます。

先日、塾で英検を実施したところ、塾生で後輩でもある鳴尾高校生が英検2級の一次試験で高得点を取ったんです。とてもうれしくて、私は思わず「次は英検準1級やぞ!大学に合格できるぞ!就活に勝てるぞ!英語の世界が違って見えてくるぞ!」と言いました。これからも自分のペースで、こんな感じでもう35年やっていきたいと考えています。